園田病院の成り立ちと歴史

当院開設以前の地域との関わり

園田兵助

 園田家は藩政時代、島津氏の馬方を勤めていた家系です。写真は病院敷地内にある銅像で、獣医 園田兵助のものです。
兵助は鹿児島の地に初めて黒豚を産業として根付かせた人物です。その始まりには枕崎ならではの事情がありました。枕崎はその当時本当に貧しい漁村で、追い討ちをかけるように“黒島流れ(1895年)”という台風による海難事故が起こりました。この時多数の家族が一家の大黒柱を失い貧困の極みにありました。
その寡婦や遺児になんとか食べていく手立てを・・という、やむにやまれぬ事情で始めたのが黒豚の飼育です。
 カライモ(さつまいも)カスや魚の食べ残りでも育ち、そして肉質は良好、味も良い・・という事で東京・大阪などでも評価され、昭和の中盤までには大きな産業へと発展していきました。
この銅像も養豚組合などの設立に尽力した事を顕彰され、県下の養豚家の浄財を集めて建立されました。

園田兵助

 枕崎は“匂いの町”とも言われます。現在でも市内に入ってくると魚系の匂いと燻煙のかおりが交じり合った独特の臭気を嗅ぐ事ができますが、養豚が盛んであったときはこれに豚の匂いが加わって、かなり強烈なものであったそうです。(各戸に隣接して豚小屋があった事を考えてみて下さい!)その匂いの原因の一つに園田病院も関われた事は幸せな事だと考えています。

園田実治院長 時代
(1928年〜1965年)

園田兵助

設立当時の建物と看板

 当院は園田兵助時代、ヤギなどの飼育を行い、乳の販売をしていた土地を利用して設立されました。設立は昭和3年です。長崎医学専門学校(現 長崎大学)で医学を学んだ実治は、当初は内科と小児科を標榜したかったのですが、枕崎地区は衛生状態が悪く、トラコーマ(当時は一番多い病気でした)が他の地区に比べて非常に多い状況を憂いて眼科の道に入る事を決意しました。当時としては珍しく“眼科専門”を標榜しており、鹿児島県で初めての“医療法人”を立ち上げるなど新しいもの好きの側面もあったようです。
患者さんを叱りつける怖い先生であったそうですが、腕は確かで、朝から晩まで献身的に診療に従事しました。

園田康治院長 時代
(1965年〜2016年:現理事長)

園田病院

1970年代後半の枕崎市空撮写真
左端に園田病院が見える

 鹿児島大学を卒業後、当時最先端であった電子顕微鏡を駆使して網膜芽細胞腫の研究を行った康治は1965年に院長に就任。半世紀以上にわたり地域医療に貢献しました。また学校保健にも積極的に取り組み、地域の学童全ての検診を継続して行いました。枕崎市医師会の会長も3期務めています。その業績を讃えられ2020年には市民功労賞を受賞しました。

園田真也院長 時代
(2016年〜現在)

園田病院

2003年落成した3代目の園田病院

 2016年より真也が院長に就任。現在に至る。久留米大学卒業後、涙器疾患を中心に研鑽を積み、内外に情報を発信中。また園田病院は鹿児島市に分院を設立。2つの病院でタッグを組み、眼科各分野の専門性の高めた医師の集団を形成。人材の交流を行い、枕崎において最先端の医療を実現すべく日夜奮闘中です。

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鹿児島園田眼科形成外科